今週、映画『ピポクラテスの盲点』を観てきました。
はじめに、現在も新型コロナウイルスのワクチンの副作用によって苦しんでおられる方々に、心からお見舞いを申し上げます。
わたし自身、ドキュメンタリー映画を観ることはそう多くないのですが、ワクチンを実際に接種した当事者として、このテーマには強く惹かれました。
「当時自分がどう考え、どう感じていたか」を正直に見つめ直すために、感想を書きたいと思います。

「なんとなく」で打ったワクチン
わたしが新型コロナワクチンを打ったのは、2021年10月~2022年5月にかけて合計3回。
接種が始まったのは2021年2月なので、最初は半年ほど様子を見ていました。
まわりが次々と打ちはじめ、職場でも「打った?」「副反応どうだった?」なんて話題が日常に。
「心配していた副作用もなんか大丈夫そうだし、そろそろ自分も…」と、特別な思いも根拠もなく、ただなんとなく接種会場の椅子に座っていました。
打つ瞬間、頭の片隅では少しリスクを恐れる自分もいました。
通常なら何年もかかる臨床試験を短縮して承認されたわけで、ある程度のリスクは当然ある。
多分、今すぐでなくとも、将来的に問題が出る可能性もあるだろう。
でも、たぶん自分は大丈夫だろう。
結局、そう自分をごまかしながら打っていました。
「思いやりワクチン」という空気
映画の中で久しぶりに耳にした「思いやりワクチン」という言葉。
当時は、「自分のためだけでなく、他人のために打つ」という美しい響きに、多くの人が共感していたと思います。
しかし、今振り返ると、それが空気による同調圧力へとすり替わっていたのかもしれません。
映画を観ながら、わたしは歴史の授業を思い出していました。
太平洋戦争末期、日本が不利になっても「勝っている」と報じ続けたマスメディア。
それを信じ続けた国民。
その構図が、どこかコロナ禍の日本社会と重なって見えました。
映画の中で、新型コロナワクチンの問題を訴える福島雅典先生がまさに同じことを語っていました。
それを聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられました。
いかに自分が政府や他人、そして世の中の雰囲気にコントロールされていたかを思い知らされたのです。
怖かったし、正直、恥ずかしかったです。
事実と向き合うということ
新型コロナワクチンがどれほどの効果をもたらしたのか、結論はまだ出ていないそうです。
ただ、どんな答えであっても、この事実と向き合うことは必要だと思います。
そして、未来にまた新たなウイルスが現れたとき、わたしは冷静に判断できるのか。
「みんな打ってるから」ではなく、不都合な事実とも向き合い、自分の頭で考え、選択できるのか。
映画『ピポクラテスの盲点』は、ワクチンの副作用について社会に問題提起するだけでなく、
「いかに流されるか」をわたし自身に突きつける作品でした。
そして、その問いは、コロナ禍が収束した今も続いているのだと思います。
番外編:映画の前に栄養補給!
さて、番外編です。
重たいテーマの映画に挑む前に、映画館の近くの鎌倉パスタでうにとたらこのパスタを食べました。
時々、こういうちょっとジャンキー♡な味が無性に恋しくなりますよね。
もちもちの麺に濃厚うにソースが絡んで、背徳的な幸せでした。
- 鎌倉パスタ “うにとぷちぷちたらこ”の濃厚うにクリームパスタ ¥1,694

今回、少々シリアスな内容となりましたが、時々はこういった形のご自愛もいいですよね。
それでは、みなさまもご自愛してください~🌸
