現在、わたし(30代OL)は休職中です。
今日は、その決断に至るまでの経緯を、少し率直に書いてみようと思います。
同じように妊活と仕事の間で揺れている方に、事例の一つとしてご参考になれば幸いです。
タイミング法から体外受精へ
2024年末頃から半年ほど、タイミング法で妊活を続けていました。
しかし、結果が出ず、焦りや苛立ちが積もり、夫婦の関係もぎくしゃくすることが増えました。
「1か月間、排卵日のために準備をしてきているのに、どうしてよりによってこの日に夫は留守なんだろう。」
「妻に射精だけが求められることが辛い。」
そんな思いが、お互いにとってストレスになっていました。
体外受精のスタートと、ホルモン剤の副作用
タイミング法を継続することに限界を感じ、夏頃に体外受精に踏み切りました。
ホルモン剤を使うことで、身体はもちろん、心にも大きな波がありました。
感情の浮き沈みが激しくなり、夜眠れない日も増えていきました。
「なんでこんなに自分が不安定なんだろう」と感じながらも、1日1日をなんとか過ごしていました。
流産の経験と、立ち直れない気持ち
妊活の過程で流産を経験しました。
短い期間でしたが、共に過ごした時間は本当に幸せで、かけがえのないものでした。
叶うなら、いつかあの子に会いたいと願っています。
時が経過しても、喪失感は消えることなく、心を蝕んでいきました。
そして、今後の妊娠においてもまた流産するのではないかと、現在も恐怖を感じています。
妊活における不公平感と孤立感
妊活をしていて日々の生活で辛かったのは、「妻と夫の負担の差」でした。
致し方のないことですが、身体への負担も、時間の制約も、圧倒的に女性側に偏っています。
自分だけがクリニックに足繫く通い、心身のバランスをなんとか保って仕事を続ける——
有給は通院で消え、自由に休暇もとれない。体調が悪い日が多く、遊びに出かける気力も起きない——
一方で、夫は元気に仕事をして、当たり前のように有給を取得し、趣味を楽しんでいる——
どれだけ頭で理解しても、胸の奥に拭えない不公平感と、一人で戦っているような孤立感がありました。
仕事との両立の限界
通院のたびに発生する仕事のスケジュール調整も、当然ながらストレスでした。
ある時、クリニックの通院日がクライアントとの定例会と2週連続で重なってしまい、
職場のメンバーから「今後はクライアント定例の曜日を変えて」と言われました。
しかし、通院日は不定期のため無理難題でした。
また、わたしの仕事固有の特徴として、「高い集中力」が求められます。
心身の不調により集中力が大きく低下してしまい、仕事のパフォーマンスの低下が如実に現れました。
さらに、妊活を優先するため出張を断ることが増え、働けば働くほど評価の面で不利な状況になっていきました。
迫り来る子宮内膜症
わたしには子宮内膜症(チョコレート嚢胞)があります。
妊活と子宮内膜症の相性は悪く、並行して治療を進めることが難しいとされています。
生理のたびにお腹の痛みは強くなり、診察では嚢胞の成長が確認されました。
そのため、「子宮内膜症の進行を止めるためにも、一刻も早く妊娠して生理を止めなければ」と、
強い切迫感を感じたこともあり、体外受精に踏み切りました。
よく妊活は長いトンネルに例えられますが、
わたしの場合、後ろから水が静かに迫ってくるような、そんな危機感の中にいました。
現在も、子宮内膜症の治療方針は検討中です。手術も選択肢の一つとして考えています。
治療の優先度やリスクを慎重に見極めながら、年内には一度、方針を決める予定です。
限界を感じて、休職を決意
慢性的な気持ちの落ち込み、孤立感、仕事の不調、焦り——
心も身体も限界に近づいているのを感じていました。
ある日ふと、「このまま何も手放さなければ、自分が壊れてしまう」と思いました。
そして、勇気を振り絞って、夫に休職を考えていることを打ち明けました。
すると、夫は穏やかに「いいと思うよ。よく頑張ったね。」と言ってくれました。
その一言に、張りつめていたものがすっとほどけていくのを感じました。
妊活の中で、夫婦関係がすれ違うこともありましたが、
最後に夫が背中を押してくれたおかげで、わたしはようやく「休む」という選択をすることができました。
おわりに
妊活と仕事の両立は想像以上に難しいものです。
休職を決意して肩の荷を下ろしたとき、久しぶりに「生きている」という実感が戻ってきました。
正直、復職の時期も、今後のキャリアの形もまだ見えていません。
しかし、妊活は自分自身にしかできないことなので、最優先に向き合うと決めたことに後悔はありません。
結末がどうなるかわかりませんが、今は心と身体をゆっくり整えながら、自分を癒す時間を過ごしています。
この休息期間を経て、また自然に前を向ける日が来ればいいなと思っています。
